パンティーという響き
カトリーヌの生きた時代、女性はスカートの下には何もはいていなかったらしいのです。
想像するだけで、落ち着きませんね。スースーしますね。
私の世代のパンティーという響きは、とても破廉恥な印象があります。
しかし、英語や多言語の文化を学び始めると、そんなに破廉恥でもない事が分かってきました。
現代の女性の快適さはカトリーヌのおかげ?
今日は、カトリーヌが世界の女性に寄与した功績の1つを紹介します。どうやらパンティーは、カトリーヌによって世に広まったとも言えそうです。
カトリーヌが乗馬方法をアマゾン型にした、というネタを書くのですが、なんと、そこから派生して、今でいうところの「パンティー」が生まれていたというのです。
ちなみに、日本では20世紀初めにやっとパンティー(ズロース)をはくようになったそうですよ。
アマゾン型の乗馬といえば、左脚を鐙(あぶみ)に載せ、右脚は折り曲げて前輪にあてがう乗り方なのですが、走るという事は抵抗を受けると言う事で、抵抗を受けた布地、スカートはまくれあがっておりました。
一緒に走る殿方は、その光景を喜んだらしいのですが、その視線をオシャレの源に、貴婦人は高価で魅力的な布地で当時男性にしか許されていなかった下穿き(後のパンティー)をこしらえるのです。
時代背景で、この下穿きは改革と捉えられ、賢い人達に動揺が広がりました。神学者は、下穿きをはくぐらいなら、太ももをあらわに、スカートの中を全て見せてしまえと言う人もいたようです。
カトリーヌはこの改革によって、狩りに出かける時など、フランソワ1世の「おそば隊」に入る事ができるようになったと言います。「おそば隊」とは、王のお気に入りの貴族や貴婦人からなるグループの事です。
フランソワ1世は、他の貴族がいくら嫌っても、カトリーヌの事を溺愛していたようです。
まさか今女性が身につけるパンティーが、カトリーヌの改革だったとは、驚きました。
しかし下穿きという利用が、陰部を隠すだけの小さな布切れとなったのは、カトリーヌが見たら卒倒してしまいそうですけどね。
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