マドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドゥヴェルニュ
カトリーヌの母マドレーヌの父方は、フランス国王フランソワ1世の従妹にあたる貴族で、フランスでも最も古く最も大きな封建貴族の家柄でした。
そしてマドレーヌの母ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドームも、サン・ルイ王(ルイ9世)の末裔の1人であり、王家の血を引いていました。
なので、カトリーヌにはフランス王家の血が半分、きちんと入っているんですね。
@catherine1975
カトリーヌの母マドレーヌと、父ロレンツォの結婚式は、アンボアーズ城で行われ、派手好きのフランソワ1世は、祝典の準備に優れた腕の冴えを見せたらしいです。
フランソワ1世は、マドレーヌに1万エキュの年金を与えました。
エキュ = 最初のエキュは、ルイ9世の時代の1266年に発行された金貨である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AD%E3%83%A5
フランス革命(1789年)前の購買力換算で、2,800円位らしいです。(1ユーロ=140円(2022年9月)で計算)
1万(10,000)エキュは、2,800万円位でしょうか。
結婚式を行う際に、すでにマドレーヌには両親ともおらず、結婚式の後、フランスからフィレンツェに戻る際、亡くなった母の所領地を訪ね、姉アンヌ(オールバニー公爵夫人)に会い、財産分与の取り決めをしたんだそうです。姉には跡継ぎがいなかったため、その領地(オーベルニュ領とブローニュ領)は後に姪であるカトリーヌが評価し、管理するようになります。
オーベルニュ地域圏
ブローニュ領 <カレーのちょっと南>
肖像からも想像できるように、17歳でフランスから嫁いだマドレーヌの美しさに、フィレンツェの人々は魅了されたそうです。(カトリーヌは母の美しさを全く受け継がなかったなどとの記載もあり、ちょっと悲しい書かれ方なのです。)
夫のロレンツォと違い、敬虔で操正しい夫人として噂され、フィレンツェに馴染むためにフィレンツェ風の装いを好んで身に着け、夫の浮気には口をはさまず、酒席で野卑なふるまいにも目をつむったとされています。カトリーヌを身籠った時も、周りの人々は大いに喜びました。しかし幸福は長続きせず、7ヶ月後夫のロレンツォは病に倒れます。
マドレーヌもカトリーヌを産んだ後、産褥熱がもとで亡くなります。その時たったの17歳でした。
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