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メディチ家のはなし

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紋章から見えるルーツ

引用:Wikipediaより メディチ家の紋章

カトーリーヌが生まれた頃、メディチ家は大富豪でした。
しかし、その祖先は農民であり、フィレンツェ郊外のジェルロから田畑を売り払い、一旗あげる為に都会に出てきたと言われています。

フィレンツェでの生活は、どのように発展したのか、薬を扱う生業から貸金業を営むようになり、貿易都市など金融が必要な都市に必然的に支店を増やしていったのでしょう。メディシスという名前の由来もメディスン(薬)に似てますからね、薬屋のカテリーナとかそんな感じの名前だったんでしょうね。メディチ家の紋章にある赤い玉は、丸薬から金銀の円形紋、あるいは七宝円形紋と出世していったんだそうです。

金融を商売にする中で、複式簿記のルーツもメディチ家にあるようです。この複式簿記で財産を蓄えたとも言われています。(その後、複式簿記を使わなくなり、財産を失っていったとの噂もあります。)

豊富な資金は、戦争続きの王族の手助けとなり、フィレンツェでは、実質的な支配者とまで言われるようになるのです。ただ、カトリーヌの祖先の凄い所は、王族にお金を貸しただけでなく、パトロンとして今私たちの目を楽しませてくれる芸術家たちの作品を世に残してくれた事でもあります。

メディチ家が欲しかった貴族の称号

@catherine1975

メディチ家を大きくしたのは、成功した銀行業で、ローマやベネチアに支店をもった事が幸運のカギとなります。ローマに進出した事で、ローマ教皇庁の会計院の財務管理者のポジションを手に入れ、教皇庁の金融業務において優位になり、莫大な収益を得たと言われています。(Wikipediaより)

余談ですが、ボルジア家 愛と欲望の教皇一族面白かったです。ローマ教皇庁で働くメディチ家の人、出てきますので、見て欲しいです。君主論を書いたマキャベリも出てきますよ。

フィレンツェの田舎から出てきて、大成したメディチ家、教皇庁に入り、枢機卿も輩出し、ジョバンニ・デ・メディチは教皇レオ10世にまで成り上がったんですよね。そしてメディチ家に無かった、フランス貴族カトリーヌの母マドレーヌを迎い入れ、待望のカトリーヌが生まれた訳です。

親族一同、大切にしない訳がないですよね。カトリーヌが生まれた後も、メディチ家には様々なストーリーがある訳ですが、それはまた別の機会に。


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