神聖ローマ皇帝カール5世
1500年2月24日-1558年9月21日没 享年58歳
カール5世=カルロス1世
神聖ローマ帝国とスペイン国王
イタリアに恋い焦がれるフランソワ1世や、カトリーヌの夫アンリ2世の前に大きくはだかった。
フランソワ1世よりも6歳年下。カトリーヌとアンリ2世よりも14歳年上。
2つ年上の姉をフランソワ1世に娶らせた。
マキャベリがカトリーヌの父に捧げた『君主論』の愛読者と言われている。いくつかのページを丸暗記していたらしい。
ブルゴーニュ公国は今となってはフランスであるが、曾祖父がブルゴーニュ公シャルルであり、生まれ故郷のフランドル地方に愛着を持っていた、フランドル地方の貴族の母語はフランス語だったために、カール5世もフランス語が母語と言われている。スペインには慣れなかったとの記述もあるが、統治の為に勉強をした。
この事から、姉のエレオーノルもフランス語話者だったと考えられる。
フランスとの覇権争い
- 56歳までスペイン王・皇帝として在位した。
- フランソワ1世を捕虜としたパヴィアの戦い時は、1525年、カール5世25歳、フランソワ1世31歳の頃
- フランス勢が優位といわれていたパヴィアの戦いでは、奇襲攻撃をかけた事で勝利を収めている。
- 1530年、ボローニャでイタリア王カルロ5世として戴冠し、二日後に最後のローマ皇帝カール5世として教皇から戴冠された。30歳。
- フランソワ1世はイタリアが欲しかった、カール5世はフランスが好きだった。フランソワ1世はイタリアを諦める日があって、カール5世もブルゴーニュ地方を手に入れる事ができなかった。
- フランソワ1世の死去時 47歳(イングランド王ヘンリー8世も同年死去)
- アンリ2世の亡くなる1年前に死去
- 晩年は体調を崩し、息子にスペインを、弟に帝国を譲った。
コメント