アンリ2世が愛したディアーヌ
カトリーヌの夫、アンリ2世が愛した女性。
ディアーヌ・ド・ポワチエ
1499年9月3日生まれ
1566年4月22日没 享年67歳
アンリ2世は1519年(カトリーヌも同じ)生まれなので、20歳も年上。今でも20歳も年上の女性を好きになるなんて、ちょっと考えずらい。
ただ、ディアーヌは規則正しい生活をしており、見た目にもとても若く見えたと記述はあります。
15歳で39歳年上のルイ・ド・プレゼと結婚し、
・フランソワーズ・ド・プレゼ(1518-1574年)
・ルイーズ・ド・プレゼ(1521-1577年)
2人の娘を持つ。長女よりアンリ2世の方が1歳年下。。やるな。
1531年、32歳で未亡人になると黒い喪服で過ごすようになる。後年は黒に加え白と灰色も加えたらしい。
アンリ2世のシンボルカラーとなる黒と白は、ディアーヌの影響にある。
フランス王室とのつながり
少女の時には、ルイ11世の娘、アンヌ・ド・ボージュ―の随員だったこともあり、結婚後はフランソワ1世の最初の王妃クロード・ド・フランスの侍女となり、クロードの死後はフランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワ、続いてフランソワ1世の2番目の王妃(カール5世の姉)エレオノール・ドートリッシュの侍女となった。
人質になる日送り出した人
1525年のパヴィアの戦いで、フランソワ1世はカール5世に敗戦しマドリッドで捕虜となった。半年の捕虜生活を送った後、2人の王子が引き換えに人質にされた。アンリの母であるクロード・ド・フランスは既に亡くなっており、捕虜に送り出されるアンリの頬にキスをして送り出したのはディアーヌ・ド・ポワチエと言われたいる。その後、4年近く暗く閉ざされた城でアンリは過ごす事になる。
人気投票で王の愛妾と同格
フランソワ1世の愛妾であったエタンプ夫人との対決も面白い。エレオノール・ドートリッシュが正式に輿入れした日の馬上槍試合において、幼さの残るアンリは、王族のひな壇にならぶ貴婦人の中で、新王妃でもなく、祖母でもなく、ディアーヌの前で頭を下げた。この後、誰が一番美しいかという秘密の投票が、気高い騎士の間で行われた。その頃エタンプ夫人の美しさは、若さの上に美貌を兼ね備え、妖精のような振る舞いに宮廷や市民の目をくらませていた。エタンプ夫人は、自分の名がノートル=ダム前の広場で高々と発表されるのを待った。しかし、ディアーヌとエタンプ夫人、二人で票が割れたと発表され、人々は仰天し、エタンプ夫人はディアーヌを選んだ人を気違い扱いした。エタンプ夫人はディアーヌより9歳若い。
アンリ2世との交わり
アンリはディアーヌを神格化するような扱いをした。20歳も年上の貴婦人に対し、愛妾とは考えてなかったのかもしれない。ディアーヌも自身の身持ちの硬さを体現していた。しかしアンリの尊敬するモンモランシー大元帥によって、二人はプラトニックな関係の一線を越えていく。おそらく、ディアーヌ39歳、アンリ19歳。(42歳と23歳との記述あり)
ただ、ディアーヌは宮廷内の勢力争いのおける自分の立ち位置を考え、カトリーヌとアンリの夫婦生活にも貢献した。カトリーヌが11年の間に10人もの子どもを産むことができたのは、ディアーヌの導きでもあった。
@catherine1975
シュノンソー城はアンリ2世がディアーヌに与えたが、国王の資産だった為、アンリ2世が亡くなった後カトリーヌはこの城を返却させ、もっと条件の良い城を代わりに与えた。
美の秘訣
ディアーヌの美貌は、生活習慣にもあったと言われている。毎朝5時に起きて四季を通じて冷水浴をした。天気が悪くても10時までに馬に乗って森と牧場を駆け巡る。簡単な朝食の後、ふたたび床に入り、眠ったり、本を読んだりしながら、正午まで時間をそこで過ごす。それから朝食をとり、服を着替え、人に会った。宮廷で舞踏会が行われる日以外は、夕食をとって8時には就寝した。念入りに化粧をしたとの記述もあるが、紅もクリームもおしろいも使わず、肌が輝くばかりで、髪も豊富だったらしい。女性の若さは毛量にもよるな、と私も思う。
死因はアンチエイジング
2009年ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルは、ディアーヌの死因は「金のエリクサー」中毒と報じました。
「金のエリクサー」 ディアーヌが若さを保つために飲んでいた霊薬。塩化金をジエチルエーテルに溶かした黄色い液体で、不老の霊薬として当時の薬売りが売り歩いていたそうです。
「彼女の髪の毛は通常よりはるかに細く、これは慢性的な金中毒の二次的効果です。」とノルマンディーの墓地でディアーヌを調査した科学者は語り、「金中毒は、貧血により、白い肌、もろく繊細な髪・骨・歯をもたらすので、彼女は市の直前にはひどく虚弱だったはずです。」と報告されました。フランス革命時、ディアーヌの遺体は共同墓地に投げ捨てられました。科学者たちは、共同墓地からディアーヌの遺体を特定し、調査した後、2009年に本来の墓に改葬したそうです。
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