オールバニー公ジョン・スチュアート
1482年7月8日生まれ 1536年7月2日没 享年54歳
カトリーヌの母マドレーヌの姉アンヌの夫。なので、カトリーヌの伯父さんとなる人。
アンヌとは23歳で結婚した。
計算すると、この時アンヌは9歳となる。
14歳差の夫婦だった。
アンヌが亡くなった時は、42歳となる。
何故再婚しなかったのか。
1514年にスコットランド王国摂政に就任した。
この時32歳。
カトリーヌは1519年生まれなので、摂政就任5年後にカトリーヌが生まれた事になる。
この人が、アンリ2世との結婚式にカトリーヌをイタリアまでお迎えに行った。
オールバニー公ジョン・スチュアートは、スコットランド貴族の第2代オールバニ侯爵とされている。
今私たちが言うイギリスは、イングランドとスコットランドと戦争をしていた歴史がある。スコットランドから亡命してフランスで暮らしていた時に、マドレーヌの姉アンヌと結婚をしたらしい。従兄妹同志と言われている。
しかし、二人の間に子どもは無く、財産はカトリーヌが相続する事になった。
オールバニ―侯爵が生まれる歴史も複雑である。
海外版Wikipediaで見つけたオールバニー公
思ったより男前…
By Workshop of François Clouet – Joconde database: entry 00000106647, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=68053025
アンヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ
オーベルニュ伯領
Wikipediaで見るところのオーベルニュ伯領、今でいうとクレルモン=フェランの辺りらしい。
有名なところで、ヴォルヴィックの産地である事と、タイヤメーカーのミシュランの本社があるらしい。
ミシュランガイドとカトリーヌのつながりを発見した気になる私。
1496年生まれ 1524年没 享年28歳
カトリーヌの母マドレーヌより2歳年上の姉。
マドレーヌが17歳で他界した為、19歳で妹が亡くなった事になる。
オーベルニュ女伯およびロラゲ女伯(1501年 – 1524)
祖父:ヴァンドーム伯ジャン8世
母:ヴァンドーム伯ジャン8世の娘 ジャンヌ・ド・ブルボン
父:オーベルニュ伯ジャン3世
男子の世継ぎが生まれなかった事で、長女であるアンヌが伯爵家を継いだ。
1505年7月13日、9歳でオールバニー公ジョン・スチュアートと結婚した事になっている。
昔の貴族の肖像画は、お見合い写真の意味があったので、妹の肖像画はあまりにも美しく、姉は従兄妹同志で結婚した為か、左のデッサンしか見当たらない。Wikipediaを参考にしているので、もう少し詳しく調べれば、肖像画が見つかるかもしれない。
ディアーヌとのつながり
カトリーヌを悩ました?ディアーヌとの親戚関係は、カトリーヌの母マドレーヌの姉、アンヌの夫となったオールバニー公、結婚式にお迎えに上がった伯父による。
オールバニー公ジョン・スチュアートの母アンヌの姉妹の孫にあたるのが、ディアーヌ・ド・ポワチエになるらしい。
さらに、母方の祖父の兄弟がディアーヌ・ド・ポワチエの祖母となる。はとこになるのかな?
しかしながら、イタリアで長く暮らしたカトリーヌは、フランソワ1世が憧れたイタリアの美を持って、フランス王家に嫁ぐ事になる。
Wikipediaよりラ・トゥール・ドーヴェルニュ家の系図が見やすかったので、参考にさせて頂きました。
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